デス・オーバチュア
|
デミウル、それが私の父親の名。 ネイキット、私を産んだ母親の名。 アースガイア、私を捨てた女にして、叔母である女の名。 けれど、その三人は私にとっては遠い人達。 血の繋がりと反比例するようにもっとも縁の薄い者達だ。 私にとっての父親は……コクマだ。 母親は……アトロポスやエアリスといった数人のコクマの側に居た女達。 だから、私が真に捨てられたと思ったのは、生まれてすぐに崖から地上に投げ捨てられた時ではなく、コクマの手からクリアに、血縁上の父親の手に戻された時だった。 それ程に、私はコクマを、『父様』として慕っていたのだ……。 アースガイア、父であるデミウルの正式の妻であったその女はすでにデミウルと別れたようでそこには居なかった。 妹と、妹の娘を殺してまで結ばれていながら、別れたのか? 愛や恋などといったものはそんなものなのだろうか? 私には解らない。興味もない。 他人事ではない、その色恋の茶番劇のせいで、私は産まれてすぐに捨てられて、数奇な運命を辿ったのだから……なのになぜか他人事のようにしか思えなかった。 代わりにそこに居たのは私と半分しか血の繋がらない二人の妹達。 クロスティーナとフローラ。 クロスティーナは私を捨てたアースガイアとデミウルの間の娘。 フローラはアースガイアと別れた後に、デミウルが新しい妻との間に作った子である。 ちなみに、この一番新しい妻もまた、死んだか、別れたらしくそこには居なかった。 デミウルは年に数える程しか家に帰ってこないらしく、二人の妹達とママゴトのような生活が続いた。 デミウルの『造った』使用人も居たし、金銭も有り余っていたので生活に不自由することはなかった。 デミウルは貴族にして宮廷魔術師であり、錬金術師でもあるらしく、人間的にはともかく、身分や財産的には最高の男だった。 二人の妹、特にクロスティーナは異常なまでに私を慕ってくれた。 最初は鬱陶しく感じたり、自分を捨てた女の娘である妹にどう接していいか解らず戸惑ったが、こんな私を無邪気に慕ってくれる妹をいつのまにか愛おしく思うようになった。 今のこの二人の妹達との生活にも慣れ始めた頃のことだった。 父様……コクマが私に唯一つくれた物である魂殺鎌が勝手に動き出したのだ。 使い手であるはずの私を逆に操り、無差別に人を殺し、魂を奪い去る。 私は一夜のうちに、虐殺者に大罪者となった。 二人の妹……家族の側には居られなかった。 いつ魂殺鎌の刃が二人に向かわないとも限らない。 いや、それを抑えられたとしても、罪人に、殺人者になってしまった自分はもはや二人の側に居る資格はないのだ。 誰も居ない所に行こう。 誰も殺さないで済むように……。 誰の魂も狩らずに済むように……。 唯一人で生きていこう……いや、いっそ死んでしまおうか……。 そんな時だった。 あの男に出会ったのは……。 中央大陸一の透明度を誇る古代湖クリスタルレイク。 そのほとりで、幼い少女が彼女には不釣り合いな漆黒の大鎌を抱きしめて蹲っていた。 「こんな所で何をしている……て、聞くだけ無意味か?」 少女は蹲ったまま、虚ろな眼差しを声のした方に向ける。 そこに居たのはとても綺麗な男だった。 黄金に光り輝く髪、氷のように青く冷たそうな瞳、象牙のような白い肌の上半身に純白のコートだけを羽織っている。 顔立ちは中性的を通り越し女性的ともいえる程繊細に整っていた。 「まったく、人が長い昼寝から醒めたばかりだってのに、随分と刺激的な死気を感じさせてくれる……」 そう言って、金髪の青年……いや、少年は口元を微かに歪める。 外見的には十四〜十六歳ぐらいの少年にしか見えないが、喋り方や態度や身に纏う雰囲気が少年というには縁遠く感じられた。 「お前の身内か、ライトヴェスタ?」 金髪の少年の左手にはいつのまにか、自ら黄金の光を放つ白銀の剣が握られている。 『はい、死を司る神剣、魂殺鎌ソウルスレイヤー……第六位の神剣です』 姿なき女の声が少年の問いに答えた。 「死をね……確かにたいした死気だよ。並みの人間なら、こいつの側に居ただけで一瞬で死んじまうんだろうな」 少年は少女の抱いている大鎌に、全てを見透かしたような視線を向ける。 そして、少年は無造作に少女に近づいていった。 「……駄目! 私に近づかないで! それ以上近づくとあなたを……」 「殺してしまうってか?」 少年は楽しげな笑みを浮かべると、少女の制止を無視してさらに近づいていく。 「面白い……十年も生きていないような人間の餓鬼がこの俺を心配してくれるわけか?」 「…………」 少年はついに、手を伸ばせば少女に触れることができる間合いにまで到達した。 「……どうして?」 話しかけるというより、一人呟くように少女が声をだす。 「ああっ?」 「……どうして……生きているの?」 手を伸ばせば触れ合うことのできる間合い……そこまで少女に近づいて生きていられた者は今まで一人もいなかった。 少女の、より正確に言うなら少女の持つ大鎌の放つ『死気』に触れて一瞬で命を落とす。 だからこそ、自分はこんな所に一人で居たのだ……一人で居なければならかったのだ。 「まあ、ちょっとでも力のある奴なら目視できるぐらいの強烈な死気だからな……でも、俺にはちょっと刺激的な心地よい風って感じだな」 「……嘘?」 「この程度じゃ刺激にはなっても、『毒』には足りないな」 少年はゆっくりと少女に向けて右手を伸ばした。 「駄目っ! 私に触ったらっ……」 「触ったら?」 構わず少女に触れようとした少年は唐突に右手を引き戻す。 「と、危ない、危ない」 少年の右掌に赤い線が走っていた。 少女に抱きしめられていたはずの大鎌がいつのまにか、少年に向けて突きつけられている。 「速いというより、捕らえにくい動きをするな……行動に移る前の揺らぎが、タイムラグがまったく感じられなかった」 「魂殺鎌は私に近づく者を赦さない……例外なく殺すの……でも、私は誰も殺したくない……だから、私に近づかないで……」 少女は、今にも少年に飛びつきそうに震える大鎌をとどめるかのように抱きしめた。 「なるほど、お前の意志の存在しない無意識の攻撃ってわけだ……たく、使い手の方が剣に使われてどうするんだよ?」 「…………」 「で、神剣の力を制御できないお前は……老いてくたばるまで、ここで一人きりで暮らすのか?」 「……そんなに時間はかからない……何も食べずにじっとしていれば……きっとすぐに楽になれる……」 「残念だったな、その神剣はお前だけは殺さない。それどころか、お前の意志なんか関係なく無理矢理お前を生かそうとするだろう。その剣が他者に死を与えた分だけ、奪った命の分だけ生命力をお前に注ぐ……お前はその剣がある限り死にたくても死ねないわけだ」 「……そんな……」 「まあ、諦めて他者の命を奪い続けて生きるんだな、死神みたいに」 「……死神……」 「別にたいしたことじゃないさ。どんな人間だって生きるために肉やパンを食べるだろう? お前はそれが他人の命ってだけの違いさ」 「……全然違う……確かに人は動物を殺して食べるけど……それは必要な分だけ……こんな無差別な殺戮はしない……」 「だったら、そいつを制御してみろ。お前の許可が無ければ勝手に命を吸わないように調教してみせろ。お前はその剣の使い手……御主人様なんだからな可能なはずだ」 「……調教?」 「お前が餓鬼で、自分になんの命令もしないのを良いことに、そいつは調子に乗って暴れまくってるんだよ。誰が主人かその馬鹿剣に教えてやれ」 「…………」 そもそもこの少年は何なんだろう? 突然現れて、やけに魂殺鎌のことを詳しかったり、凄く傲慢というか偉そうなようで、でも、親切というか優しいようにも思えたりもして……。 「そんなことが簡単にできれば苦労はないとでも言う気か? できないなら仕方ない、剣の道具として殺戮に生きるか、誰もいない所で寂しく一人で生きるんだな」 「…………」 訂正、やっぱりこの少年は優しくはないようだ。 「せめて、無尽蔵に吐き出されている死気ぐらい抑えて見せろ。剣に体を振り回されるな、お前が剣をねじ伏せて、自在に振り回して見せろ」 「……どうして?」 「ああっ?」 「どうして、私に構うの?……どうして、いろいろ教えてくれるの?」 「ん?」 少年は言われて初めて気づいたとでもいった感じで、考え込むような仕草をする。 「……まあ、なんとなくかな」 「……なんとなく?」 「なんとなく興味が沸いたというか、ぶっちゃけ昼寝が……暇潰しが終わっちゃったばかりで今は暇なんだよ」 「……暇だから?」 「その理由が気に入らないなら、神剣の結ぶ『縁』なんてのはどうだ?」 少年は左手に握っている白銀の剣をかざして見せた。 「……理由を無理して作ってる?」 「なんだ見破られたか、鋭いのか鈍いのか解らない餓鬼だな……だいたい理由なんてのは後で適当に作れば良いんだよ。なんとなく興味が沸いた、なんとく気に入った、なんとなく気に入らない……行動原理なんてのはそれで充分だ」 「…………」 もしかして、この人は何も考えていない? 本能や直感だけで生きている? 「そういうわけで、暇潰しにもう少しつき合ってやるよ。俺相手にそいつを試してみな」 「……そんな……だって……」 目の前の少年はなぜか死気を浴びても平気なようだが、魂殺鎌の刃が刺されば話は別のはずだ。 例え、魔族だろうが神族だろうが、一瞬で生命力を吸い尽くしてしまうだろう。 「だから、お前ごときが俺を心配するなって言ってるだろう? 俺は死なないから遠慮なく全力で来い」 「死なない人間なんてい……人間?」 「俺は自分が人間だなんて一度も言っていないがな」 少年が口元に意地の悪そうな笑みを浮かべた瞬間、空気が一変した。 少年を中心に突然発生した威圧的な空気が死気をねじ伏せていく。 「……魔力?……瘴気?」 よく解らない……ただとてつもなく禍々しい力だということだけがなぜか解った。 「……だ、駄目ぇっ!」 少年の放つ威圧的な力に怯え、耐えきれなくなったかのように魂殺鎌が少年に跳びかかる……少女の体を引きずりながら。 「ふん……」 少年は微動だにしなかった。 少年の左胸に吸い込まれるように魂殺鎌の刃が突き刺さる。 「いやあああああっ! やだやだっ! やめて、魂殺鎌……」 少女は必死に魂殺鎌を引き抜こうとするが、魂殺鎌はそれに逆らうかのように刃を深く深く少年の左胸にえぐり込んでいった。 物凄い勢いで命を、生命力を魂殺鎌が吸い込んでいくのが少女には感じられる。 「あはははははっ! なるほど、こいつはいい! 物凄い勢いで命が吸われていくのが解る……百年分、千年分……いったいどこまで吸う気だ?」 少年は心底楽しげだった。 「ほらほら、俺を殺したくないんだろう? だったら、そいつをお前の意志で止めてみろ。もっとも、本当にこの俺を殺し尽くせるなら殺し尽くして見せてもらいたいものだがな」 「……殺し尽くしてみろ……?」 少年の言葉に少女はなぜか無性に腹が立った。 自分が他者を殺してしまわないように、こんなに気を遣っているのに。 他者を殺してしまうことに、こんなに心を痛めているのに。 ……解った、いいだろう、望みを叶えてやる。 望み通り殺し尽くしてやる。 少女はこの時、無意識ではない、明らかな殺意を他者に対して初めて抱いた。 「魂殺鎌っ!」 少女の目つきが変わる。 常に何かに怯えていたような瞳が、鋭すぎる殺意を宿した瞳へと豹変したのだ。 「ほう……」 少年が感嘆の声を上げる。 命を吸う速度が2倍に、3倍にと物凄い勢いで高まっていった。 「その瞳……気に入った……」 「あああああああああああああああああああああああっ!」 少女が言葉にならない叫びを上げる。 少女は理性を完全に失っていた。 いや、魂殺鎌と完全に同調していたという方が正確かもしれない。 この少年を殺し尽くす、命を吸い尽くすのだ。 同調した二つの意識が相乗効果のように力をどこまでも際限なく高めていく。 「今、お前と魂殺鎌は本当の意味で一つになった。魂殺鎌の意志はお前の意志、お前の意志は魂殺鎌の意志だ……これでもう一方的に振り回されることはない」 一筋の黄金の閃光が走った。 次の瞬間、少女は魂殺鎌と共に吹き飛ばされ、大木に叩きつけられる。 少年は白銀の剣を地面に突き刺した。 『……気が途絶えました、二人共に……』 「ふん、二人ね……」 少年は自らの左胸に右手を添える。 「さて、何千年分吸われたかな? もしかして、万単位逝ったか?」 『……なぜ、そんなに楽しそうに言われるのですが、御主人様』 「楽しいからに決まってるだろう」 少年は心底楽しげな笑みを浮かべながら、姿なき女の声に答えた。 「流石は十神剣の一つ……いや、凄いのは神剣じゃなくこの餓鬼か?」 少年は、気を失っている少女の前まで歩み寄る。 「ところで、魂殺鎌の方、何か変じゃないか?」 『はい、理性的な意識……人格が感じられません。まるで概念、現象としての意志しかないような……』 「つまり、殺す、命を奪うといった死の神剣としての本能しかないってわけか」 『はい、本来の『あの子』はとても理性的でストイックな子でした。命を奪うことが自らの性、存在理由とはいえ、無差別に命を喰らい尽くすなどということをするはずがありません……』 「ふん、なんでそうなったか知らないが、ある意味武器としてはその方が正しい姿なのかもな。お前みたいにゴチャゴチャとうるさくない分だけ扱いやすそうだ」 『……御主人様……それはあんまりです……』 少年は女の非難の声など無視して、少女の前で膝を折った。 「面白い……ホントに面白い餓鬼だ……」 少年は自らの左胸に視線を向ける。 魂殺鎌に貫かれた左胸はすでに疵痕になっていた。 人間には有り得ない回復の早さ……というより、人間なら左胸をあんなに見事に貫かれて生きているはずもない。 「さっきのあの眼差しの鋭さと殺気……ゾクゾクしたよ」 少年は左手で少女の顎を掴んだ。 「お前は強い……それでいて、どんな人間よりも弱くもある……特にその精神の未熟さ、心の弱さもまたある意味魅力的だ。アンバランス、不完全ゆえの魅力ってやつか? どう育つのか……見届けてみたくなる。いや、いっそのこと……ふん」 少年は少女の額を右手の人差し指で軽く弾く。 「とりあえず、お前にはこの俺を傷物にした責任をとってもらわないとな」 少年は赤くなっていく少女の額にそっと接吻した。 「今からお前は俺の物だ。俺を楽しませるためだけに生き続けろ、俺を退屈させるな。それが、お前が俺から奪った数千年分の命の代価だ」 少年は優雅な笑みを浮かべると、少女を抱き上げる。 「その代わり、お前が俺を満足させている間は、お前を守護し、お前を愛してやろう…………もっとも、俺には愛なんて感情は無いし、理解もできないんだけどね……適当に見よう見まねで愛してるフリしてやるさ、要は優しくしてやればいいんだろう?」 少年は同意を求めるように、地面に突き刺さっている白銀の剣に視線を向けた。 白銀の剣が黄金の閃光を放つ。 次の瞬間、白銀の剣が突き刺さっていた場所には、金髪の美女が立っていた。 「できるのですか、優しくなど……御主人様は生まれてから一度も、誰かを愛したことはもちろん、優しくされたこともないではありませんか……」 「あん? 愛なんて要は気に入ったって感情の延長だろう? んで、優しくってのは贔屓や優先してやること……でいいんじゃないのか?」 「……完全に間違っているとは申しませんが……やはり、何かが決定的に間違われてるかと……」 金髪の美女は頭を抱える。 どう説明すれば、この愛や優しさというものが完全に欠落している主人に理解してもらえるのだろうか? 「ちっ、面倒臭いな……まあいい、行くぞ、ヘスティア」 「はい、御主人様」 少女を抱きかかえた金髪の少年は、金髪の美女を影のように引き連れ、森の奥へと姿を消していった。 「ふん……」 ルーファスは森の奥へと消えていく自分自身を見送っていた。 「ちっ、過去の自分ほど見ててムカつくものもないな」 ルーファスは不快いげに呟く。 「それにしても、この頃のタナトスは本当可愛かった……どこまでも自虐的で虐め甲斐があった……まあ、今みたいに必死に虚勢を張るのも健気で可愛いけどね」 この出会いの時から、今日までの十年余り、一日たりとも退屈することはなかった。 一瞬とて彼女から目を離すことはできなかった。 「さて、俺は俺のタナトスを見つけないとな」 過去を思い返し、浸る趣味はない。 「……ん? そういえば何か忘れている気がするが……思い出せないならたいしたことじゃないだろう」 ルーファスの姿は、過去の時代から消え去った。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |